2012年06月22日

2011年

 この3月、歴史民俗学専攻の第1期生が卒業する。思えばこの4年間は誠にハードな日々であった。おそらく学内最高の実質10コマ程の授業を担当し、土日はフィールドワークや入試関係でつぶれ、いつもいっぱいいっぱいなので、2010年の忘年会では気分が悪くなり、2011年の忘年会はついに腰痛で欠席する始末だった。

 司書課程では、南、川瀬、笹倉先生を新しく非常勤講師にお迎えした一年だった。特に笹倉先生はお忙しいので、集中講義の形態しか取れないのを、ご無理をお願いして苦しい時期をお助けいただいたこと、感謝にたえない。4月からは図書館法改正による、新しい科目を加えた新司書課程が、申請を通ればスタートできる。

 公文書管理法が20114月から施行され、それにならって、地方公共団体でも公文書管理条例を成立させ、公文書管理体制を整えねばならなくなっている。そこに図書館がどう絡めるのかは、各地の図書館の力量次第だろう。ただ、資格としての図書館司書が、資料のデジタル化に伴って、博物館学芸員との間の垣根が低くなり、さらにこれから求められるであろう、公文書管理のアーキビストともさらに近接した資格になるであろうことを忘れてはならない。

 新司書課程の養成する司書にはそのような期待が込められていると考えてよい。まだ公文書館(archive)の専門職員(archivist)に日本語の名称がなく、そのまま、アーキビストと呼ばれているが、司書や学芸員のような資格になるのは時間の問題と思われる。それに対応できるように司書教育も進めていくべきなのだ。

 著作活動の方は、月刊『子どもの文化』では、78月合併号特集を担当し、歴史民俗学専攻の同僚と学生の協力を得て、「こわ〜い、こわいお話全科」という、京都フィールドワークの成果を生かせたものを出せた。また、ずいぶん短い執筆期間で書かされたものが、『紙芝居―子ども・文化・保育』(子どもの文化研究所編、一声社)として出版されたのには驚いた。しかも、堀尾青史、久保雅勇という紙芝居界の故人になった大家の文章とともにだったのでさらに驚いた。紙芝居界ということでは、中川正文、右手和子という大家を今年失ったことも忘れられない。

 長く研究をやっていると、思いがけないことが飛び込んで来るものだということでは、フェリーさんふらわあは、その前身が関西汽船であり、その前は大阪商船で、大阪別府航路を開いて100年を記念して洋上でセミナーを開催した。「お伽船」の研究者として別府から大阪南港までの12時間、昼間に瀬戸内海を進む船の中で講義ができたのは、思いがけないことだった。

その他、紙芝居月刊情報誌『絵芝居』の編集、司書課程の年報、ニューズレターの編集等々、あいかわらず追いまくられている。今年の入試は、昨年よりはましになりそうだが、予断を許さない。

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2011年06月10日

2010年

 歴史民俗学専攻がいよいよ完成年次を迎えようとするのだが、年内入試がこれまでと違ってはかばかしくない。河井塾の大学ランキング偏差値が40になり、ランキング表の真ん中より少し低いという位置についたことが、要するに我が道を行く志願者を集めるのでなく、一般的なランク付けの中の受験戦争に巻き込まれてしまったこと、高校の進路指導が、AO入試や指定校入試でなくセンター入試受験にシフトしてきたことなどが影響しているのかと思われる。41日の入学式になるまで、定員を満たせるのかまったく分からないが、3年続いた定員超過入学を守りたいものである。

 これで憂鬱になっていた年末をさらに憂鬱にしたのは、湯浅先生と嶋田先生の相次ぐ来年度の非常勤講師ご辞退の知らせであった。それぞれのご事情があるので、無理をお願いすることができず、大慌てで後任講師を探さなくてはならなかった。おかげさまで、なんとか後任をお世話いただき、不開講等にはならずにすみそうである。

 それにしても、2011年度は、図書館法改正にともなう司書課程の科目改正申請をしなければならず、これも頭痛の種ではあった。電子書籍がネット上で話題になり、スマートフォン人気でこれまでと違い本当に普及するとしたら、確かに司書課程と図書館はそれに対応しなければならない。

 ただ、こういう情報環境が変わるたびに、生活がふりまわされ、そこへの対応に大わらわになるという、これまでの「文明開化」のパターンも、こういう情報環境を開発する工学自体が変わりつつあることで少しはましになるのではないかとの期待ももてるようだ。資料組織概説のために『オントロジー工学』を齧った末の感想である。(1)処理中心から情報中心へ(2)コンピュータ中心から人間中心へ(3)形式中心から内容中心へ、という流れは、例えば川をコンクリートで固めてきたことから転じ、植物を生やしながら水害も防ぐ河川工学、断熱材と空調冷房で涼を取るビルでなく、屋上緑化で解決する建築工学など、回復工学とでも名付ける流れの一部のように見える。

 今年も子どもに関する総合文化誌「子どもの文化」の編集委員として特集企画に関わった。6月号の特集「妖怪ニッポン」、11月号の特集「新しい公共」では編集企画をし、論文を書いた。その他、7+8号、12月号にも文章を掲載している。

 また、歴史民俗学専攻の方では、人間文化学会の研究紀要『人間文化研究』第25号に特集「映画『おくりびと』の歴史民俗学」を企画して、専攻の専任教員5名全員が論文を掲載できた。

 また比較日本文化研究会の研究誌『比較日本文化研究』第13号に「紙芝居を考える枠組みとしての映画」を特集「映画を分析する―人文・社会科学の新しい視点」の企画に応じて書いた。

 その他、月刊誌「絵芝居」の編集刊行を続けている。また、司書課程「ニューズレター」「年報」の編集も。

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2010年07月15日

2009年

この一年 2009年


 今年も歴史民俗学専攻の方にほとんど全力投球という形であった。2ゼミに当たる資料講読を新しく持ち、吉本隆明の『共同幻想論』をテキストに読み進んで行った。自分の学生の時に出た本だが、30年以上を経てようやくなるほどとわかったこともあったのは楽しかった。

 司書課程では河塚先生の後を受けて専門資料論を新たに受け持った。これが、学問における資料、専門資料を扱った教科だったので、歴史民俗学という分野を学問全体から見渡すのにも役に立った。司書課程のホームページを再構築する意欲も湧いてきて現在作業を進行中である。

 図書館法が、博物館法、社会教育法とともに改正されて、司書課程の科目も少々改編しなければならない。2010年中に見直して2011年には実施する予定だ。流れとしてはいっそうの情報学化と、資格としては学芸員や社会教育主事との垣根が低くなるようである。文書館法整備充実とともに注目したい傾向であろう。アーキビストは司書+古文書読解あるいは学芸員+古文書読解なので、歴史民俗学専攻の学生諸君の職業選択肢を広げるのだ。

 論文では長い間刊行されなかった『芸術教授学』第10号が出され、2年ほど放置されていた「『絵が動く時』連続的芸術の文化史的研究」という文章がようやく日の目を見た。もともと紙芝居についての研究者になったきっかけは紙芝居の名人阪本一房老との出会いであったが、その阪本老の名言の一つが「動かない絵を動かす」であった。それを何とか理論化できたのが、この論文なのである。

 「子どもの文化」誌の特集では、3月号が「サブカルの現在(いま)」、10月号で「笑ってベイベ!笑いと生活」を担当した。編集委員に加わったのが2000年からだから、ちょうど10年を迎えたわけだ。特集執筆者に本学の卒業生がかなり登場し、たいへん助けられているのは幸せな循環だろう。歴史民俗学専攻の東京シンポジウム「妖怪文化の伝統と現在」を子どもの文化研究所で開催し、満席で成功したのも、この東京の雑誌との日常的関係のおかげである。

 シンポジウムといえば、京町屋キャンパスで実施した「サムライ文化論序説」は、東京ほど盛大ではなかったが、歴史民俗学専攻の新しい可能性を予感させるものであった。軽佻浮薄、浅薄な海外のサムライブームを嫌悪する歴史学者たちをなんとかなだめすかし、いざ語ってもらうと平安末期から戦国時代までのサムライ像が鮮やかに浮かび上がり、海外を含めた現代社会がサムライに寄せる関心にも理があることをあらためて認識できた。

 知的好奇心にあふれた歴史民俗学専攻の学生たちの存在は、教職課程など他の課程も含め、明らかに司書課程にとっても干天の慈雨である。彼らに対して一所懸命に向き合い、少しでもその教育的環境をより良く整備することが、司書課程の発展にもつながることだと確信している。

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2009年05月11日

2008年

この一年 2008年


 司書課程では、昨年情報検索実習の河塚クラスが成り立たず、今年はそんなことはないはずだ、と「この一年」に書いたのに、クラス編成のシステムがうまく働かず、高橋クラスが不成立になってしまった。高橋先生には誠に申し訳ないことをした。さらに年末になり、河塚先生が来年の担当を辞退され、後任を大慌てで探さなければならないという事態になった。それもここ数年来の司書志望の学生の質量低下が一因だとうかがい残念に感じている。

 今年4月に入ってきた歴史民俗学専攻の第1期生たちは誠に優秀で、あと一年がまんしていただければというのも後の祭りである。ただ私自身のこの一年というのは、この第1期生たちに始まり、第1期生たちに終わったといえる。学生募集は本年も順調で、さらに優秀な第2期生が入ってくる予定で、1回生の秋学期に情報検索実習を全員とらせ、2回生の春学期にレファレンス資料実習を続けて履修させることで、学生としての基礎的で最低限なスキルを身につけさせるという構想も、実現に向っている。

 今年は司書課程委員会の委員長を有吉先生に引き受けてもらい、授業計画や年報の編集などをお願いし、少しそちらでは楽ができた。それでも、毎月の『絵芝居』の編集、年2回の司書課程の『ニューズレター』、子どもに関する総合文化誌『子どもの文化』の特集などあいかわらず、編集作業に追われる毎日だった。昨年夏の「子どもの育ちと声の文化―京都フォーラム」を特集にまとめた『子どもの文化』20082月号、続く3月号は特集「読書テクノロジー」を担当、卒業生の上村倫行、今村梓両氏を駆使してまとめあげた。この二人には本当に助けられている。大慌てではなくじっくりととり組めたのは9月号特集「アートとともに生きる」で、研究者たちの追いかけている個々のテーマをアートという言葉にまとめられたことは、少々編集力が上ったというよりは、さまざまな出会いの成果であった。

 さらに発行年月日こそ200712月だが、実質この春に出された『比較日本文化研究』第11号に掲載できた「成立史上における『紙芝居の作り方』の位置―紙芝居に関する最初の単行本、その意義と著者久能龍太郎のこと」という論文を書けたことは、紙芝居を研究課題として選んだ研究者としてあることの責務をようやく果たしたという思いである。査読があり、厳しい指摘をされ、そのおかげでとても説得力のあるものになったという初めての経験もした。

 また小松和彦先生還暦記念出版『日本文化の人類学/異文化の民俗学』(法蔵館)に「『平成狸合戦ぽんぽこ』のなかの百鬼夜行―妖怪のイコノグラフィ」が収録され、妖怪文化論を受け持つ立場として妖怪文化関係の論文を一本持つことができた。大学で務めはじめて10年を越え、調査しつつ講義で考えをまとめながら論文に形作っていくという作業がようやくできてきたということだろう。

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2008年03月22日

2007年

この一年 2007年

 司書課程では、情報検索実習のクラスの定員が足りず、河塚先生にご迷惑をかけ、3クラスで行なった。これまでで初めてのことで、このところの学生募集の不調がついに形をとって現れてきたのか、といささか肝を冷やした。来年は歴史民俗学専攻が登録必要科目にし、開講を秋学期に変更する。おかげさまで、歴史民俗・日本語日本文化学科の募集が順調に進んでいるようなので、今年のような事態は回避できると思う。
 資格を取って、地方公共団体に採用されても、現場では指定管理者制度をはじめとする合理化の圧力が待っている。司書課程の科目ではできるだけ図書館の現状を学生に伝え、現実に向き合うことを教えていきたいと考えている。だいたい地方自治がまともにならなければ、これからの私たちの生活は、決してよくならないのだ。
 今年も編集という仕事が日常の中心になっていた。毎月の紙芝居情報月刊誌『絵芝居』をはじめ、子どもに関する総合文化誌『子どもの文化』、さらに司書課程の『ニューズレター』『年報』と、あわただしかった。『子どもの文化』では2月号に「『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいのか』いじめ問題」を書き、6月号では特集「道草・逃げ道・迷い道」を担当した。これらは、2005年2月特集「学校があぶない」、同10月特集「学校制度を直視する」から続いてきた問題意識の総括であり、近代という時代の終りを向かえ、その重要な要素の一つであった学校という存在の今を問うたものだった。これは自分が今年初めて担当した「児童文化史」で扱った「学校の怪談」につながっていった。また『子どもの文化』10月号特集では「おばけの世界」を企画編集した。こちらも、今年初めて担当した「妖怪文化論B」と関連している。
 しかしなんといっても、毎年夏の特別号7+8月号が、今年は紙芝居であり、力が入った。それに関連して群馬県立土屋文明記念文学館と、福島県、いわき市立草野心平記念文学館が同時期に紙芝居展を開き、関東平野を横断して両方を見に行ったことも印象に残っている。7+8月号はたちまち売り切れ、子どもの文化研究所は単行本として『新・紙芝居全科―小さな紙芝居の大きな世界―』を再刊したのはうれしいことである。
 そこに書いた「お寺そのものが紙芝居―成田山貞照寺(各務原市内)の霊験記彫刻堂羽目」をきっかけに、あらためて貞照寺の研究が数人で進みはじめた。『紙芝居の作り方』の著者、久能龍太郎も、名古屋、白壁町の出で、そのことで知り合った久野豊彦の研究者、嶋田厚先生に川上貞奴邸、二葉館のイベントでお目にかかれたのも、からみあった縁のおかげといえよう。年末には名古屋柳城短期大学の紙芝居イベントに、絵本作家長野ヒデ子さんといっしょに出るということで、中部編がしめくくられた。
 来年は新しく発足する歴史民俗学専攻科の運営と、今年書いた数点の論文の刊行が楽しみになっている。
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2007年04月04日

2006年

この一年2006年

京都学園大学司書課程年報2006年、2007年3月発行
まずは「子どもの文化」誌の編集からである。2006年3月号特集「語りが拓く」、9月号特集「指定管理者制度を問う」を担当した。別冊「子どもの文化」第8号には「書評『メディアとしての紙芝居』鈴木常勝著」を書かせてもらった。いつものということでは、「語りの世界」誌に「口演童話研究ノート」を連載させてもらっていて、第42、第43号にそれぞれ(8)と(9)を書いた。それだけでなく昨年暮れに語り手たちの会公開セミナー「語り手は物語を生きる」で発言したものをまとめた「今が戦争前なのか」を第42号に掲載した。そして、2年目だが『子ども白書』2006年に「紙芝居の復権」を書いた。これも毎年の仕事になりそうだ。
また、別府史談会の発行する「別府史談」第19号に「油屋熊八・梅田凡平・お伽船」を書いた。別府観光に関係する論文なので、地元の歴史に関心のある人たちのための雑誌に発表できたのはうれしかった。
 このことをはじめとし、今年はかなり外からお声がかかり、そこに答えて仕事をしたということが多く、ありがたいことだった。京都中ロータリークラブから依頼されて環境紙芝居づくりの相談にのり、講演したり、刊行された、きむらゆういち作、花之内雅吉絵、小森紗綾香編集の紙芝居「うみがみえたよ」の解説を書いた一連の仕事もそうであった。
 キャプションで名前が出たわけではないが、NHK大阪から連絡が入り、朝ドラ「芋たこなんきん」に数回出てくる紙芝居シーンの監修もした。半日ほど付き合って紙芝居屋さん役の桂勢朝さんにアドヴァイスしただけだから日当5000円(税別)だった。でも放っておいたら紙芝居屋さんが標準語で演じていたかもしれない。
 名古屋柳城短期大学が開いた「紙芝居の魅力と演じ方」シンポジウムでは右手和子、阿部明子先生らと同席できた。この記録は柳城短大紀要に掲載される予定。年内発行だが手に渡るのは年明けだろう。
 おもしろいということでは、大学に原稿依頼の電話が入った、廣済堂出版の『書き込み年表式自分史アルバム』。お年寄りに自分史を書き込んでもらうという実用書だが、記憶喚起のために紙芝居の記事を書いてほしいということだった。戦前の紙芝居の絵も入れたいということで、大空社復刻の永松健夫『黄金バット』を紹介した。日野原重明や輪島功一、三浦雄一郎などという有名人に混ざって我1頁があるのがおもしろい。
 今年のメインの仕事は『はじめよう、老人ケアに紙芝居』遠山昭雄監修、雲母書房、と『都市福祉のパイオニア 志賀志那人 思想と実践』志賀志那人研究会、和泉書院に書かせてもらったことだが、これも不思議なことに、2冊とも福祉関係というこれまであまり縁がなかった領域。
 大学も司書課程も、戦国時代でサバイバル、しばらくはとても大変であろう。来年は新規講義も入り今から準備など、がんばらなくっちゃ。
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2006年03月29日

2005年

この一年2005年

京都学園大学司書課程年報2005、2006年3月発行
大学がいよいよ戦国時代を迎え、淘汰が始まっていく中で、3月まで学部の入試主事だったので、ラオスに行く気分にもなれず、ともかく悲惨な闘いを終える。もっとも、模擬授業や入試の仕事で、二年間入試主事をしていた間に四回も台湾に行っているのだが。
 4月に教授に昇進したが、入試主事手当が減った分と、通勤手当の改革により、収入減。子どもの扶養もそろそろはずれていくし、こりゃ昨年が生涯のピークだったのではなかろうか。お金のことはまあ、さておき、会議に出なくて良い分、時間はできた。けれど5月から6月にかけて、紙芝居のことで新潟、富山、岐阜、そして子ども社会学会、箕面紙芝居まつりをはさんで7月に群馬県の桐生にも出かけた。紙芝居の普及には使命感を持っているし、旅は好きなので悪くはなかったが、講義の合間の土日が多かったので、まったく死のロードであった。まあ、土地の美味しいものを食べ、紙芝居の仲間が増え、で、それぞれの主催者のみなさん、お世話になりました。
 箕面の紙芝居まつりには、ラオスの紙芝居制作の第一人者ブンルート・シウィサイさんに来てもらい、まつりを見てもらった。これがラオスの紙芝居状況に良い影響を与えればよいが。
 形になった仕事は、いつものように毎月の『絵芝居』編集刊行、『子どもの文化』は2月号「学校が危ない」、6月号「関西式交流術」、7・8月号「座談会 学生たちと語る 戦いあるいは闘い」、10月号「学校制度を直視する」、12月号「広がる紙芝居の世界」に関わった。『語りの世界』も、いつものように6月と12月の刊行の第40,41号に、連載の「口演童話研究ノート」第6回、第7回を。特にこの第6回から、「図書館雑誌」に掲載された図書館でのお話会の記事をひろっている。前から気になっていたことに、ようやく手をつけたのだ。
 1月刊行された勉誠出版「ジャイロス」第10号特集「アニメ文化」には「アジア、紙芝居からアニメまで」を、4月には世界思想社『アート教育を学ぶ人のために』竹内博・長町充家・春日明夫・村田利裕編に「人形芝居・紙芝居」を担当執筆、同じく4月にはクレス出版『叢書日本の児童遊戯別巻』上笙一郎編が。これは、この第11巻に書いた解説を再録された。上さんには『児童文化叢書』の「紙芝居に関する調査」解説の仕事をまわしていただいたことが、私の研究者デビューだったことを思い出した。8月には『子ども白書』2005年版、日本子どもを守る会編に「IT化で増幅する世代間情報格差」を書く。『子ども白書』の仕事ははじめてだった。11月には『比較日本文化研究』第9号特集「『子ども』とはなにか」に巻頭言「子どもというテーマ」を書いた。
 なぜか知らないが、未知のところから原稿を依頼されて書くことが増えてきて、ありがたいことだ。お声がかかるうちが花なので、しっかりと仕事をしておこう。
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2005年12月31日

2004年

この一年2004年

京都学園大学司書課程年報2004、2005年3月発行
ラオスに行きだして3年目になった。しかも2004年2月は、たった一人の旅であった。いつもトランジットで、タイ・バンコクの国際空港でバタバタするのだが、幸いラオス・ビエンチャンまでタイ航空を使ったので、バンコクでもタランジットオフィスへ行く必要がなく、その分ゆったりできた。それにしても、ビエンチャン・ワッタイ国際空港でのビザ手続なども行わなくてはならず、緊張を強いられたのである。
 1995年1月17日の阪神大震災をもって、日本のボランティア元年とするのが通例のようであるが、国際的な市民援助は、それより15年先行してタイでのカンボジア難民に対する援助から始まる。この辺の事情は、ラオスに行き始めてから調べたのだが、日本のNGOは、その活動の当初から、図書館教育を中心的な活動にしている。
 ところが、日本の図書館界(というものが成り立てばの話だが)は、これらの活動にあまり注目してこなかったし、評価も定まっていない。私の場合、紙芝居という子どもの文化についての研究という意味でも、東南アジアは大事なのだが、難民への図書館活動全般を見ることで、子どもへの図書館活動からはじまった、自分の子ども文化への関心と研究活動を、総合する意味を持っていることに気がついた。
 旅人としてビエンチャンを見れば、たった3年なのに、12月にASEANの会議がビエンチャンで行われることもあり好景気とグローバル化に、急速に変貌していっていた。あちこちにその印象を書き記しているので、そちらを参照されたい。
 形になった仕事としては、4月に建帛社から原昌・片岡輝編著で『児童文化』が出版され、そこに「少年マガジン」と「紙芝居」についての記事を書いた。7月にはクレス出版から『叢書 日本の児童遊戯』第11巻が出た。これは「学校・課程西洋遊戯全書」仙郷学人、霞城山人、太華山人合訳、「内外遊戯法」大橋又太郎編、「絵入幼年遊戯」坂下亀太郎編の三冊の明治期に出版された子どもの遊びについての本の復刻で、その解説を書いた。編者上笙一郎さんのまわしてくれた仕事である。特に坂下亀太郎はその仕事があちこちで注目されている割には、生没年など明らかでなかったので、調査してそれを記すことができたのは嬉しかった。
 大学内では岡村先生の後任人事と、学部の入試主事の仕事、おまけに私の昇格人事までふりかかって、もう少しでプッツンと切れるところであった。おかげさまで新年度から有吉末充先生を迎えることができる。
 『絵芝居』『子どもの文化』編集委員はあいかわらず、あわただしく務めている。比較日本文化研究会では12月研究集会をもてた。そのからみで新年度から「妖怪文化論」を小松和彦先生に持っていただけるという大金星になった。
 2005年2月またラオスに行きたいと思ってはいるのだが、どうなることか。
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2003年

この一年2003年

京都学園大学司書課程年報2003、2004年3月発行
 今年もラオス人民民主共和国に渡った。今年は第1回ラオス手づくり紙芝居コンクールの審査員としてであった。これは手づくり紙芝居コンクールの審査のノウハウそのものが伝えられ、長年箕面で紙芝居コンクールの審査員を務めた甲斐があったと感じた。また、世界遺産の古都ルアンパバーンを訪ね、首都ビエンチャンへの帰途はまったくの一人旅だった。ルアンパバーンでは川遊びをする子どもたちを、レストランのテラスから3時間ほども眺めていた。古都のすばらしさと、旅の孤独感は忘れられない。その後この成果を日本子ども社会学会筑波大会で発表した。
 『子どもの文化』誌編集委員も続けて務めている。9月号「アジアの空の下で・ラオス発」は2月のラオス行きの成果を全面的に特集したもの。11月号「『正義の味方』は?」はイラク戦争にもの申したかったことと、子ども番組の「正義の味方」の存在が気になっていたことを合わせて考えた企画だった。それでも学部入試主事を引き受けてしまったので、ずいぶんの活動低下になってしまった。
 日常でもっともたいへんだったのが、この入試の仕事だった。だが、大学という存在がいま社会から何を求められているのか、どういう働きをするべきなのかを考えさせてくれる仕事でもあった。入試の説明会の仕事で、12月には単身台湾に飛んだ。台中での仕事が終わり、台北で甥とおちあった。四年制大学を卒業後、こちらに語学留学しているのだ。はじめはスペイン留学を考えていたそうだが、これからは中国語だと台湾にしたそうだ。彼と話していると真に頼もしく、つくづく世代交代がはじまっていることを感じさせられた。
 紙芝居についての情報誌『絵芝居』も毎月刊行している。7月には函館まで行き、公立はこだて未来大学のロバート、セベリー教授のプロデュースによる紙芝居ワークショップを行った。同じ講師役だった渡辺享子さんに会えたこともうれしいことだった。渡辺さんは紙芝居の名作『ニャーオン』の画家であり、その芯の通った創作活動を知ることができたのは光栄であった。
 岡村氏の転出を知らされた時は、奈落に突き落とされる気持ちがした。本学司書課程にとってもこれは大きな痛手としか言いようがない。今年は交通事故で愛車をオシャカにしてしまったが、弱り目に祟り目、踏んだり蹴ったりとはこういうことである。大学のあり方も含め、こういう時代、孤独に個々で耐え忍ぶしかないのかも知れない。ルアンパバーンからの一人旅からはじまり、1年後のこの2月は、ラオスまでたった一人で行くことになった。
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2002年

この一年2002年

京都学園大学司書課程年報2002、2003年3月発行
 この一年、一番大きかった出来事は本学の海外出張補助金を受けて紙芝居セミナーの講師としてラオス人民民主共和国に渡ったことだった。滞在期間いっぱいいっぱいで仕事をし、たいへん体力的にきつかったが、楽しかった。その後この成果を日本子ども社会学会岡山大会で発表した。
 『子どもの文化』誌編集委員はあいかわらず務めている。1月号は特集「七年前に大震災があった そして…」を担当。表紙裏の「子ども再発見」には短大司書課程卒業生の今井めぐみ氏の「司書の気持ち」を、3月号には同じく筑田真衣氏に学校司書の現状を短く書いてもらった。4月号には紙芝居仲間のとどすずき氏に「なにわのくいだおれ」を頼むがシリーズ化は難しいかも。6月号はやべみつのり氏が「ラオスで紙芝居セミナー」を寄せられ、私たちの活動の報告が載る。私も短文を。「なにわのくいだおれ」では無理があるが、「なにわの台所」だったらと菅野博子氏の第一回「お弁当の力」も。7+8月号は死ぬ思いで紙芝居仲間の三本章代、藤田かよ、辻野佐和、菅野博子の各氏、ラオスで知り合った小川直美氏、うちの学生の沓野豪君、さらにわが娘までかりだして「遊び」の図鑑をつくる。ベテラン保育士に不評だったと聞きがっくり。9月号では特集「手づくり紙芝居の世界」の冒頭座談会で言いたい放題。11月号では特集原稿で「絵文字ってなんだ?!」を執筆した。これは分量もあり、今年一番の力作になった。そして休まず2003年1月号の特集を担当。「街の息吹き」、都市論というのはいつも心にかかっている。今までは主に自分が原稿を執筆することが仕事だったが、こうしてみると、新たな執筆者を起用したりする、より編集者的な仕事が増えてきたようだ。
 そして、編集と言えば紙芝居に関する月刊情報誌『絵芝居』の編集長を4月から引き受けざるを得なくなった。月刊というのはきつい。A5版、たった14ページの小冊子だがその紙面を考えるというのはほとんど毎日の作業になってしまっている。全国に広がる紙芝居ネットワークを見渡せるのはとても魅力であるが…。さらにバックナンバーをPDFファイル化してペーパーレス管理をするべく作業をはじめた。これが、またタイヘン。
 さらに追い討ちをかけて、本学司書課程のニューズレターと年報の編集という仕事が降りかかってきた。過労で入院したら編集という作業のせいだと思ってほしい。
 もっとも愚痴を言ってばかりいてもしかたがなく、待っているより迎え撃たなくてはならないので、語り手たちの会の『語りの世界』誌に「口演童話研究ノート」を連載するぞと宣言し、『語りの世界』第35号に第一稿を載せた。むむむ、墓穴を掘ったか?
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2001年

この一年2001年

京都学園大学司書課程年報2001、2002年3月発行
引き続き『子どもの文化』誌の編集委員を務めている。2001年6月号では特集「子どもと労働」を担当した。児童史家の上笙一郎氏、児童文学者の韓丘庸氏、龍谷大学社会学部の持田良和氏と大家ばかりにお願いしたので、原稿の取立てに大いに苦労した。予定より半月も遅れて原稿が出揃った。自画自賛になるが、それでも出来栄えはすばらしかった。今日の子どもが直面している情況への処方箋が、少し見えたような気がしたのだ。
 10月号では絵本についての特集を富山県大島町絵本館に丸投げした。しかし、やはり丸投げというのは編集意図をうまく理解してもらえない所があり、こちらが長文をつけ加えたりしてかえって手間がかかってしまった。10月号の表紙は本学人間文化学部人間関係学科3回生の今村梓エディテク部長に描いてもらった。
12月号は特集でなく書評を一つ掲載してもらう。在日朝鮮人の児童詩人、李芳世(イ パンセ)のはじめての日本語詩集『子どもになったハンメ』について、彼も私も戦後詩が好きなので、山之口獏などをからめながら論じたものである。
 さらに2002年1月号は特集「七年前に大震災があった、そして…」を担当した。ともかく2001年はひどすぎた。池田付属小学校での乱入殺傷事件、明石歩道橋でのパニック事故など、関西で子どもが死ぬ事故や事件がたてつづけに起こり、きわめつけはニューヨークでの同時多発テロにはじまったアフガニスタン空襲、戦争であった。正月に死臭ふんぷんたる特集をやってもだれも文句を言うまいと、こういう過激な記事になった。この原稿を書いているのが大晦日から元旦なので、まだ反響を聞いていないが、楽しみである。
 紙芝居や語りの力の大きさに、改めて感心したのが福島県でのうつくしま未来博、語りと紙芝居のパビリオン「からくり民話茶屋」とのかかわりであった。2001年にはいってすぐ、ともかくだれでも紙芝居がつくれる講演をしてくれと頼まれて、郡山へ飛んだ。福島の民話を幾つか手づくり紙芝居にして、夏には七十人ほどが「からくり民話茶屋」で演じた。メインは昔話の小劇場だが、語りは落ち着いて聞くもので、入れ替えの間、列をつくって待たなければならない。博覧会や遊園地は大体そうだが、このイベントまでの待ち時間はかなり問題である。場合によってはイベントそのものの価値さえ揺るがしかねない。ここに民話紙芝居が活躍したのだ。流動している観客の足を止めさせ、興味を抱かせ、イベントに固定させる役割を街頭紙芝居風な上演が、果たしたのである。のべ五千人にもおよぶ県民参加と、観客動員の目標を大
幅に超えたことで、「からくり民話茶屋」はジャパンエキスポ大賞を受けた。ユニークな企画の勝利であり、それを実行したユニークな人々に知りあえたのは嬉しかった。
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2000年

この一年2000年

京都学園大学司書課程年報2000、2001年3月発行
4月から「子どもの文化」誌の編集委員を務めている。(財団法人)文民教育協会・子どもの文化研究所発行の全国誌で、公称1500部発行になっている。ミニマガジンだが学会誌や同人誌と違って、取次を通し書店で売られる雑誌なので締切が厳しく、なかなか大変である。手はじめには記事を書くだけであったがそのうちに特集そのものを編集しなくてはならなくなった。私を編集委員に起用した意図は、そもそもこの雑誌の東京中心の情報発信のあり方に疑問を抱いていたので関西にもう一つ編集拠点をということだったのだ。
 ということで4月号「これからの学校図書館はどこへ行くのか?」6月号「NPOで運営がはじまる手づくり紙芝居コンクール」7・8月合併号「戦時紙芝居から学ぶこと」の記事に続き、10月号は「地域のまつり〈地蔵盆〉が子どもを育てる」という特集を担当した。ちょうど同僚の吉村亨先生が短大時代に地域生活史の調査として地蔵盆を対象にされていたので、その論文にあった学生のコメントを使わせていただいたりして、まったく地蔵盆を知らない東京の読者にもわかりやすいように工夫した。ここらへんも一般読者を相手にした商業誌であるために、できるだけビジュアルに、楽しくと心がけている。2001年に入って2月号が「ガハハいひひひうふふニコッ」という関西の笑いをテーマにした特集を担当。なかに編集意図を説明した「子どもは笑うのが一番」を書いているが、一人で記事を書くよりも、あれこれ連絡をとったり締切を気にしたりと苦労はするが、特集の編集というのはおもしろいと感じている。
 また、特定非営利活動法人「子どもに無煙環境を」推進協議会の禁煙キャンペーンの紙芝居、絵本などのコンクールが毎年開かれており、その審査員を1999年からつとめているが、1999年の入賞作「タバコなんてけっとばせ!」と2000年の入賞作「エッヘン!なんだかノドがへん…」を、印刷紙芝居として出版するに当たって、監修の役を引き受け、また二作に印刷する「紙芝居の演じ方」という文章を書いた。特に「エッヘン!なんだかノドがへん…」の作者中島美ね子さんは、箕面紙芝居コンクールの常連でもあり、無煙協会の印刷紙芝居の水準が高まったことも喜ばしいことであった。
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